「融けるデザイン」おもしろかった

筑紫明朝のかわいい装丁に惹かれて、というわけではないけどTwitterでたまたま知ったのでkindleで読了。サービスの設計をするうえですごく勉強になったので「融けるデザイン」、これはオススメ。おもしろかった点は、次の3つ。

体験の言語化

体験(UX)という言葉は、曖昧だし文脈によってもその対象や意味が変わる。その言葉1つで綺麗に片付けたようで実は何も示していないし、もう一歩二歩噛み砕くことができるけどその手前で諦めた感のある言葉。時には、いろんな複合的要素の総称として使っていたりする便利な言葉。極力そういう言葉は使わないようにしていた。でもこの本では、今のところ一番納得行く形で説明されていた。

「体験」とは「自分がものごとを制御していることを知覚すること」だと、本書でいろんな実験を元に繰り返される。その実感(知覚)が薄くなるにつれて体験は透明化され、その最たる例が無意識で使っている手だと。手を道具として人は無意識のうちに使っていて、自分の能力(できること)を拡張しているのだと。「制御している実感」「わたしが行動を起こせば何かが変わる感」がだいじ。この辺はマイクロインタラクションでも同じようなことが論じられていた。

身体の捉え方

もう一つおもしろかったのは、身体の捉え方。手や足はもちろん自分に帰属している身体の一部で、僕たちはそれを思い通りに制御できる。では「制御できる=身体」という捉え方をしたら、どうなるか。車はスキルさえあれば乗りこなすことができるし、ラケットは飛んできた玉を打ち返すことができる。「手=制御できる=身体」という図式の中で、車やラケットは物理的に身体とは切り離されてはいるけど、実際に僕らはほとんど意識することなくその道具を使いこなしている。その延長線上にインタラクションが論じられていて、ひとたび「コントロールを掌握してる」感が失われると悪い体験だと知覚されると。

インタラクションを言語化するの、むずい

僕は著者の使う言葉に共通認識があったので理解しながら進めたけど、これをいざ人に伝えようとすると急に難しくなる。手を動かす班はこれをもっと噛み砕いて日常レベルにまで落とし込んで、クライアントだったり違う分野のチームとの間で活用しないといけない。筆者が文中でよく使っている「自己帰属感」という言葉をもっと噛み砕いて、具体例を元に説明しないと伝わらないだろうなと。「自己帰属感がですね・・・」と始めても相手は引くのでだれもハッピーにならない。


全体的な「体験」の捉え方はとても勉強になったし活用ポイントは多分に見いだせそう。特に、「体験 = 制御している感」というのは、体感的にも納得感がある。例えば、映画を見ながらボリボリ食べていたポップコーン。普段なら残りが少なくなると、残量を手に感じながらゆっくり味わうのだが、映画に気を取られて残量を感じないままポップコーンボックスに手を運んだ瞬間、それが空だと気づく感じ。あと、階段もう一段あると思って踏み込むとなかった時の落差の感じ方とか。この喩えがあっているのかわからないが、本来制御できていたものが、できなくなる瞬間にある一定の「不安」を感じる。

ただ「自己帰属感」を「体験」してもらえるのはそもそもユーザと接点が生まれてからだというジレンマがあるので、やはりマーケティングだいじやんなー、というところに戻ってくるのでした。さくっと読めるし、視野が広くなる本だと思うので「融けるデザイン」、よかったら読んでみてください。